Sfera Bar SATONAKA

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ROMANEE CONTI

先日、お客様とロマネ・コンティの話になったんで、たまにはお酒の話でも…

世界で名高く高価なワイン、ロマネ・コンティはわずか1.8haの畑から生まれます。

過去2世紀の間、ロマネ・コンティほど人々の心を深くとらえた葡萄畑はありません。ロマネ・コンティのワインは、常に垂涎の的でした。

10世紀初頭以来、この畑はサン・ヴィヴァン修道院のもとで耕され、18世紀初頭には、ルイ14世の侍医が持病の治療薬として毎日スプーン数杯のロマネ・コンティを処方したと言われます。

ルイ15世時代、葡萄畑の所有をめぐって王の寵姫ポンパドール夫人と、ブルボン王朝の名族コンティ公爵の間で争奪合戦が行われました。(コンティ公は、軍での出世の道がポンパドール夫人の妨害工作のせいで閉ざされたと信じていましたし、ポンパドール夫人の方も、ルイ15世に対するコンティ公の影響力のせいで自分の地位が脅かされると感じ、公を嫌っていたようです)
1760年、この勝負はコンティ公爵の側に軍配があがり、腹を立てたポンパドール夫人は、以後ヴェルサイユの宴席からブルゴーニュワインを閉め出し、王の食卓にはシャンパンしか出さなかった、とも伝えられています。

こうしてコンティ公がロマネの畑を買い取ると、そのワインは「伝説」になり始めます。以後、全てのワインはコンティ公個人の用途に当てられたからです。ロマネの畑から生まれるワインは市場から姿を消し、コンティ公宮殿でしか味わえない特別な酒となったのです。“ロマネ・コンティ”の名はここに生まれたのでした。

コンティ公は法外に贅沢な暮らしをしていました。コンティ公がロマネを買ったのは、ヴェルサイユから身を引き、パリにあるタンプル宮に家庭を作った後のことで、最も贅を尽くした生活をしていた時期でした。公は当時の絵画や芸術品のなかで最高と思われるものを集め、首都で最も名声高い音楽家に年金を与えていつでも自分のためにコンサートを開けるようにしていました。コンティ公のオーケストラは、当時のパリでも最高のものとして有名でした。

このように、コンティ公が芸術文化の世界の最大パトロンだったことも、このワインの名声を一層高める一因となったでしょう。ざっと名を挙げただけでも、哲学者のルソー、百科全書のディドロ、劇作家ボーマルシェらがコンティ公宮殿に出入りしており、あのモーツァルトもパリを訪れた際には公爵家で演奏をしているのです。

1789年、フランス革命で貴族の荘園がすべて没収され、あらゆる「旧体制」が否定された際にも、「ロマネ・コンティ」の名前だけは敬意とともに残されます。革命後、ブルゴーニュの多くの畑は競売と遺産相続で細分化される運命を辿りましたが、ロマネ・コンティの葡萄園を分割しようとするオーナーは終ぞ現われませんでした。ローマ時代から続く単独所有畑(モノポール)としての名声は、こうして連綿と守られてきました。革命も、戦争も、その名声に髪ひとすじの傷も負わせられなかったのです。

ロマネの名畑は、クロ・ド・ヴージョをも所有していた投機銀行家ウヴラールらの手を経た後、1867年、サントネの酒商デュヴォー・ブロシェ氏に買取られます。ロマネ・コンティの名をドメーヌ名に冠した「ドメーヌ・ドゥ・ラ・ロマネ・コンティ」の発祥とされるのがこの時で、彼は長い年月をかけ現在のDRCにあたる地所をまとめあげたと言います。(ちなみに、現当主ヴィレーヌ家はデュヴォー・ブロシェの子孫です)
ワインについての著述が始まった19世紀以降、ロマネ・コンティは一貫して「ブルゴーニュ最上のワイン」、あるいは「世界至上のワイン」という賛辞を享受してきました。最近では、フランスの農業・林業省が「大聖堂」と表現するまでになっています。

「畏怖の品質」という表現こそ、まさしくロマネ・コンティに値する言葉でしょうが、シャトー・ディケムの所有者であるアレクサンドル・ド・リュル・サリュース伯爵の控えめな言葉ほどふさわしい表現もないでしょう。
「ロマネ・コンティ、この夢見心地になるようなワインについては、我が家ではいつも声をひそめてしか話さない。」

ロマネ・コンティ『神話になったワインの物語』より転載

嗚呼、飲んでみたい……ロマネ・コンティだけまだなんです↓
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Whisky&Liquor | comments (0) | trackbacks (0)

母爆睡!

すっかり秋らしくなり、京都の街は観光で来られた外国人の方々が地図を片手に歩かれております。
有難い事に当店にもほぼ毎日1組は外国人のお客様が来られます。
先日なんか最初のお客様がフランス人のご夫婦で、次は外国人の団体様、次も外国人、次も……
やっと日本人のカップルさんが来てくれた。
「いらっしゃいませ!お飲み物はいかがいたしましょうか?」
「〇△●×〇※*…←○??」おーい!中国語やん!全くわかりましぇ〜ん!
そんなこんなで、店内満席なんですが全員外国人…ここはどこなんだ??
マジ、英会話習おうかなと考える今日この頃です。

で、話は全然代わりこの前うちでバーデビューしてくれたあずさちゃんのお母様がお仕事関係の飲み会?後、お立ち寄り下さったんですがお疲れなのか爆睡されておりました。
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祝!結婚!!

日曜日に友人の結婚式のため東京に1泊で行ってきました。
かれこれ10年ちょっとのお付き合いになる友人です。
少し長めの学生時代を京都で過ごし現在は東京で大きなお寺を継いでおります。
もともと前のお店(MOON)のお客様なんですが、いつの頃からかお客様から友人にって感じです。
学生時代にはお店に27日間連続で飲みに来るという変態です。ちなみに私はその間3回休んでおりますが…

そんなこんなですが、彼は本当に酒を愛しバーを愛しバーテンダーを愛しそしてバーテンダーに愛される奴なんです。
あっ!もちろんバーテンダー以外の誰にもです。
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和装と洋装です。なんやほんまに偉いご住職みたいやなぁ…
で、この結婚式久々にチョー豪華な結婚式でした。
出席者が300人は超えてた。なんせ円卓の数が10個あったし端の方は見えなかったですもん。
恐るべし、坊主のちから…
京都からも総勢12名のバーテンダー・ご飯屋の大将・酒屋の社長が出席させてもらいました。
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この日の司会者のズームインのバード羽鳥氏と態度大のうちの酒屋の社長です。
みしらずの下っ端の893みたいなのに絡まれてもニコニコしてくれて、とってもナイスガイなバード氏です。
これからはアヤパン裏切りズームイン見るからねぇ…

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ほんでもって、東京タワーを見ながら2次会3次会…と朝まで飲み会は続きました。
ほな、ホテルとらんでいいやんかぁ…先週に続いて疲れました。
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祝20周年!

先日(10月13日)京都のバーの御大である谷田さんのB-STYLEが20周年を迎えられました。
このお店、バーテンダーが仕事終わりに夜な夜な立ち寄る貴重なお店なんです。
20年前のオープン当初は木屋町で営業されてたんですが、現在は祇園で営業されてます。
谷田さんの人柄か20周年の当日はバーテンダーがうじゃうじゃです…
何故か私とクラブデゼールの原野氏とクーゲルの西田氏と3人でビースタのカウンターに立つことに…といってもビールを注いで飲ませるだけなんですが!
まぁ、飲みました。飲まされました。久々にヘロヘロでした。
でも楽しいお酒だったのか、二日酔いは全くなしでした。
谷田さん、お疲れ様でした。25周年30周年も入りまっせ!

来年は原野氏のお店が20周年ですね。また暴れましょう!!
ちなみに、私の勤めた雪月花も実はこの11月で20周年なんです。
桧原さん、お疲れ様です。前後で飲みに行こな。
ということで、私も京都でのバーテンダー暦20年になるのです。はぁぁ……
いつまでするねん…

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B-STYLE
京都市東山区祇園町北側281−1 祇園ファーストビルB1F
075−541-0507
20:00〜6:00 不定休

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左から原野氏、西田氏、谷田オヤジです。
ドンペリで乾杯! ういぃぃ〜〜す!!
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